家族を大切に。
こんにちはー!!!こんばんはー!!!
今日は敬老の日ということもあり、はてなブログさんからもお題があがっていましたので私のおばあちゃん👵について少し書きたいと思います。
私はこの世に生まれついてからおじいちゃんとおばあちゃんは私にとって1人しかいませんでした。
小さい頃はずっとそれが普通だと思っていたのですが周りの子と話しているとおじいちゃんとおばあちゃんは2人ずついると…。
「ん!?!?」
最初は訳わかりませんでしたが、後々親に聞き。
「なるほど。」
となりました。
詳しいことは覚えていませんが色々あったみたいです。
私は気づいたらおばあちゃん子でして、ことある事におばあちゃんちにお泊まりしてました笑
家庭の事情で小学3年生からおばあちゃんが一緒に住むことになり、毎日一緒にいれる!毎日一緒に遊べる!毎日一緒にご飯食べれる!
そんな夢のようなことがずっと続くんだなーって嬉しい思いでいっぱいだったのを覚えています。
でも、その夢のような日々が当たり前のごくごく普通の日常と化してしまうのって怖いですよね。
元々おばあちゃんも子供っぽさがあり、私が一人っ子で喧嘩相手がいないこともあるのですがよくケンカをしてました。
他にもおばあちゃんに犬の散歩させて転ばしてしまったりや肩や足を揉ませたりなど。
両親が共働きだったので家事をしていたのはほぼおばあちゃんだったのですが、手伝いもせずに遊んでばっかりで、おばあちゃんの扱いが雑だと…そんなことにも気づきもしないで大学生になっていた気がします。
でも、おばあちゃんって凄いですよね。。。
私のためにわざわざ遠いとこまで自転車に乗って健康に良い食品を買い物してきてくれたり、ベッドメイキングしてくれたり。(色々やりすぎなとこはありましたが笑)
たった一人の孫ってこともあるのですが、そこそこな年齢になってもまだ何も出来ないとおもってるみたいで、なんでもしてあげちゃう。
おばあちゃんはそんな心境みたいです。(母いわく)
私も子供や孫ができたらそんな気持ちがわかるのでしょうかね。
そんなこんなでまったり過ごしていた大学生活のある冬の日から事件は起き続けました。。。
私が1階のこたつでゴロゴロしていると階段から物音が!!!
ガラガラガラドシーーーン!!!!!!
なんとおばあちゃんが階段から転んで倒れていました。。。
意識はあったのですが踵を強く打ったみたいで、痛みには相当強く顔には出さないおばあちゃんなのですがすごい痛そうな顔をしていたのが衝撃でした。
立てそうもなかったのでなんとか起こし、病院で検査すると踵の骨折と頭を強く打っていたようです。
その検査で発見したのですが、脳に大きな腫瘍があることがわかりました。
それからというもの大変な生活が続きました。
踵骨折で歩いちゃいけないのに見てないうちに料理を作ろうと台所に立っていたり、人の手が必要なのに1人でトイレや風呂に行ったり。
お風呂入ってから長いと思って覗いたら、浴槽で起き上がれず気絶していたり。
外に出ないでと言ったのにゴミ捨てをしにいき、帰りに道路で倒れていたり。
もともと言うことを聞かない人ではあったのですが大変でした。
それからはすっかり私が家事をするようになりました。
おばあちゃんは私の好きな料理をいつも考えたくさんのバリエーションのものを作ってくれたり、掃除洗濯など当たり前のことなんですがありがたみをすごい感じました。
脳に腫瘍があったのですが高年齢のため手術は出来ず、弱っていくしかないと聞きどうしようもありませんでした。
滑舌も悪くなり、1人で立つこともままならず金銭的な都合上入院や老人ホームなどの選択を選べなかったので自宅介護となりました。
でも、会話はたくさんするしとても笑顔なんです。
一緒にテレビ見たりなど、ただ一緒に同じ空間にいるだけでもすごい笑顔で私もすごい楽しかったし嬉しかったです。
そして私は大学を卒業し就職をして、一人暮らしすることになったんですが、おばあちゃんはボケ防止に塗り絵をしたり趣味の編み物をしたりなど自由に行動できなくても楽しんでいたので安心し独り立ちしていきました。
こんな生活が続き大丈夫なんだろうとどこかで思いながら。
しばらく一人暮らしが続き、たまに母から電話がくると
「おばあちゃんに会いに来てくれる?会うだけですごい嬉しいし笑顔になるみたいだから」
と。
実はおばあちゃん、私が家を出てからずーっと寂しそうにして、笑うこともほとんどなかったようで脳の腫瘍が進行していく中、孫である私の存在だけが生きる楽しみであり生きがいだったみたいなんです。
それでもどこかで「なんとかなるだろ」「たまに会いに行けばいいや」など軽い考えでした。
それからというもの衰弱が進み、それに気も向けず1年がたとうとしている頃でした。
点滴を常にしてないと生きることが出来ない状態になりやむを得ず入院が決まり、点滴のみの栄養補給で安楽死をするという状態にまでなってしまっていました。
さすがにやばい……ほんとに居なくなっちゃう
……
ここまでの状態にならないと気づかなかったんです。ホントに馬鹿でした。
お見舞いにいくととてもやせ細り呼吸もままならない状態で意識も朦朧としている状態でした。
喋りかけても返事もないし表情も分からない。
でも手は握ってくれるんです。
しばらくしておばあちゃんは亡くなりました。
以上、私の体験に基づいた話でした。
なんかただ長文で伝わりずらい文章だとはおもいますが!!
が!!!!
私がこのブログを通して伝えたいことは、
「当たり前のことなんてない」
「普段の当たり前に感謝する」
「いつでもできるなんてことはない」
ということですかね。
今回、色々思い出しながら書いていてうるうるきてしまいました。
なんか詩人っぽくなってしまいましたね笑
このブログがどこかの誰かのためになれれば幸いです。
ここまで読んで下さりありがとうございました。m(_ _)m